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第7章 道徳 | 戸田山和久『哲学入門』

道徳という制度
e.g.
責任というゲーム・制度
議論の整理をしたのはダニエル・デネット
もとの論文に当たって出典を確認しようwint #TODO

道徳的に重要な自由
道徳的諸概念の中心
自己コントローラー +α はなにか
自由意志ではない

自己の進化
原自由 + 反省的思考 + 言語
→ 人間の自由の基(ベース)
自己を構築する自由
↑ 言語 + 反省的思考
自己づくりの自由
道徳的に重要な自由の概念との関係?
価値・好みは自分で決めて与えてきた
結果の責任も負う

必要性: 自己づくりの歴史が求められる
成長・移行: 責任なし→あり(幼児→成人)
スペクトラム
断絶してない
メカニズム決定論への反駁
(自由意志の)インフレ派への反論

自己とは
伝統的な観念
操縦者
そんなものはない
組織化のパターンのこと
脱神話化版の自己
デネットの(自己観念の)デフレ戦略
原自己
自己 → 原自己
自他の区別
e.g. 免疫
最小限の自己
(自己の)表象はなくてもいい
延長された表現型の一種とも考えられる
拡張としての自己の2段階の進化
身体の表象
自己モニター能力
basic blip
空間のみ
反省能力
行為主体の自己
理由と動機のモニター
ホントの自己
↑より、時空および内面に渡る統合が必要
その組織化のパターンが自己
拡張した自己も
e.g. リードしてるチーム
言語が必要
せめて意志統一wint
物語 (narrative) が自己の材料
言語 → 物語
⭕物語→自己
❌自己→物語
言語処理 → 物語(構築物)= 表現型 = 自己
言語機能は自己ではない
言うならば、社会的構築物

道徳的自己の条件
自己コントローラー + 首尾一貫性
物語的自己 → 反省的理由 → 首尾一貫
→ 自己によってコントロールされた自由
責任ある自由な行為
組織化されてる自己を経由した行為であること
人間に特有の責任ある意志的行為

責任は進化し得るか
伝統的な理解
自由な行為 → 責任能力を問う
しかし、決定論に弱い
責任がある(とみなせる)⇒ 自由がある(と判断する)
デネット、逆転の発想
他行為可能性や決定論は問わない。
ゲーム(= 制度)への参加が要点
責任をとる実践が真の自由意志を生む。
責任を課される ⇒ 自由の能力発達
未来の自己コントロールを増やす、自由を増やす。
反省することで再プログラミングの契機とする。
その時点での他行為可能性は問わない。
この実践は得
逆にできないと損

責任(をとるという実践)の進化
デネットのシナリオ
1. 協力の進化
タカ↔ハト
血縁選択
2. の進化
規範の貫徹
騙す↔見破る
善い人間のフリ → 善い人間そのもの
敵を騙すにはまず味方(自分)からwint
自己づくりのルーツ
4. 下を参照
未来の自分との取り引き
e.g. 罪悪感の感情
善い人間になる性向
感情を利用
罪悪感
→自由の拡大
誘惑に負けそう
後悔の予想で取引
自己変革
予測不可能性の増大 = 自由の余地の拡大
→道徳的エージェント
再プログラム可能性
これが step 4 相当

道徳的エージェントの要件
高度な自己モニタリング能力および予測能力
自己コントロール能力およびプログラミング能力
→単体では厳しい
→コミュニケーションの進化がこれを補佐した

コミュニケーション進化の補佐
言語能力の洗練
道徳の語彙
→モニタリング精度向上
相互に尋ねあう → 上記2能力の嵩上げ
責任をとるという実践が生じる

概要
ref. 図29 参照
4ルートの進化
協力
表象
自己
自由

上記議論に対する不満点
人間的自由
役に立つフィクション
↑社会的構築物
ポモ的(再掲)
自由の信仰が必要条件
脆い構成物だ
デネットの意志に反して、幻想と見る余地が発生してる
→ 一般には不成立
経験的問題なので
自由意思なしの道徳?
『自由意志なしで生きる』
→ 総称してハード不自由論wint

ダーク・ペレブーム「自由意志がない⇒責任もない」
本当だろうか?
ハード非両立論の論証
行動と選択は3種ある(スペクトラム):
外部決定論的
部分的にランダム
完成にランダム
いずれでもない
cf. エージェントの自由と責任(のなさ)
∴ 自由も責任もない
3シナリオ: どちらかあるいは両方捨てる
自由意思なし、3つのストーリー
役立つフィクション
自由意思なし・責任あり
自由意思・責任なし

ハード{決定,非両立}論でも、道徳において、
残るもの
合理的行為者
cf. デネットの議論
消えるもの
自由と責任
blameworthy, 非難適格
praiseworthy, 賞賛適格
伝統的な議論との対比
非難・賞賛
= 道徳の必要条件
e.g. スピノザの道徳観
非難・賞賛→善悪
すべて決定論が破壊する
cf. スロートの議論wint

道徳システムの2部分(by ダーク・ペレブーム
善悪、正不正の区別
動機による⇒❌消える
∵決定∪ランダム
帰結主義: 残る
区別→非難・賞賛
これは消える
同上

残るもの
帰結主義は無傷で残る
「罪を憎んで人を憎まず」のみ?
→ …ではない
徳倫理的要素の一部は残る
e.g. 人格の良し悪し
さらに…
義務論の一部
つまり、道徳は残る
→むしろ倫理的に純粋。高純度な倫理的生活が可能。
自己愛が混入しない
ポスト自由意志社会
やったこと→起ったこと
犯罪 → 病症

影響
犯罪の扱い
i.e. 不道徳な行為の扱い
病気の文脈
矯正よりは治療の対象

の正当化
立場
応報主義
合法な復讐?
抑止論?
vs. ハード非両立論と矛盾する
道徳教育論
vs. 体罰の効果の低さの科学的根拠
帰結主義的抑止論
i.e. 見せしめ
やや不道徳
モノ扱い = 定言命法違反
正当防衛論
vs. 拘束
牢屋
拘束した時点で、もう防衛の必要はない
隔離説
唯一正当化できる
疫学のロジック
社会の権利
再犯の隔離
関連
死刑が正当化できない
予防監禁は正当化できない
つまり潜在犯は発生しない
抑止効果は十分
やや反直観的なケースがある
拘束したらば、社会は治療の義務を負う
フーコーの論点に似てる
治療でも尊厳は保て
でもアルコール依存症治療薬はセーフ
本当に…?wint
天秤の余地

反動
責任ゲームへのインパクト
心理的な側面
自由意志の信仰
⇔ 援助行動 / 正の相関
vs. 攻撃行動 / 負の相関
指摘
それでも自由のデフレは止まらない
自己コントロール能力の科学的知見は増えてゆく
ハード不自由論を支持する
いつか道徳システムへの危機に直面する
人間観の可塑性
→ 意外に適応するのでは?

「ディストピアだ」という評価への批判
自由意志と市民的自由との混同
市民的自由: 他者による不当なコントロールの排除
意志の自由とは独立
= 自由は制限されるし責任は負わされる社会
もうなってる説
自由意志があってもディストピア
→ 自由意志がなく市民的自由のある社会はあり得る。
むしろ良さそう
結局、自由意志とは独立
自由意志に付帯する悪徳に注意